File 269 気球連隊第二格納庫
千葉県に残る最も大きな戦跡としてその姿を残していた建造物が、
老朽化を理由として、今年その姿を消してしまうという。
はたしてどうのようなところなのか?
【物件名】気球連隊第二格納庫(川光倉庫)
【所在地】千葉県千葉市稲毛区作草部1丁目33−34
※現在はもうありません。
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2020/9/19 訪問
とある日、このHPをご覧になっている「シラタマさん」からメールをいただく。
内容は作草部のランドマークとなっている巨大な倉庫が取り壊され、跡地はマンションになるとのこと。
そしてその巨大な倉庫を保有していた企業は、すでに退去しているとのこと。
もちろん巨大な倉庫はただの倉庫ではなく、
もともとは「気球連隊第二格納庫」という建物であり、
旧日本軍の建造物として残っている中では、千葉県内で最も大きいものとされています。
数日前までは普通の倉庫として使われていたため、当然ながらごく一部の機会を除いて内部への立入はできませんので、
ほとんどの人はその外観をランドマークとして眺めるだけでした。
しかし、後日、前述の「シラタマさん」から、見学会が行われるという情報をいただく。
日時は2020年9月19日。
そうとなれば行かない手はない。ということで、訪問してきました。
場所は作草部駅付近。千葉駅からモノレールで2駅の場所です。
作草部駅から北部の住宅街の中の、とある交差点です。
特徴的な形状をした、巨大な建造物が見えます。
現在の名称は「川光倉庫」。
戦跡としての名称は「気球連隊第二格納庫」です。
建物に近づきます。
すでに周囲が防護壁で囲まれています。
それでもその形がわかるほど巨大で、圧倒されます。
入口前には見学の案内が貼られています。
この見学会は取り壊される寸前に「中を観てみたい」という声に応えるため、
急遽開催されたもので、おそらくそういった動きがなければそのまま壊されていたと思います。
開催していただいた皆様にはただ感謝するしかないです。ありがとうございました。
門をくぐり、建物前へ。
受付にて記名すると、積水ハウスのボールペンと、
隣のマンションの自治会が作成したパンフレットをいただきました。
ボールペンのプレゼントは、積水ハウスがこの場所の跡地にマンションを建てることになっているため、
前述の声とは別に、マンションが出来上がった際に購入を検討されている方に向けて、
建てる前は何があったのかを説明するということも考慮して実施されたようです。
そして隣のマンションの自治会が関係していることについてですが、
今回の戦跡になっている倉庫は「第二」であり、
「第一」の倉庫があったのはその自治会員が現在住んでいるマンション、という関係です。
隣で第二倉庫の行く末を見守っていたので、今回のことも関心があった、ということなのかなと思います。
受付が終わると、そのまま誘導されるがままに、倉庫内に案内されました。
倉庫に入ると、真っ先に目に入るのが「ダイヤモンドトラス」構造の骨組みです。
この写真の左側は、近代に倉庫として利用するために、建物の内側に作られたものであり、
気球連隊第二倉庫は、その倉庫全体を覆うような「屋根」として使われていました。
この現在の倉庫利用のための構造体があるからわかりにくいのですが、
ダイヤモンドトラスで組んでいるため、支柱がない巨大な空間を十分な強度で作ることができて、
気球を作るために必要な巨大な空間が確保できた、それをこの時代でできたのがすごい、ということですね。
別アングル。年月を感じさせます。
この「気球連隊第二倉庫」は1937年に作られたものだそうで、築83年になります。
見学ルートを進んでいきます。一気に倉庫の最上階まで階段であがります。
倉庫最上階のフロアです。
とは言っても、普通の建物で3階ぐらいの高さですが。
取り壊しは進行しているので、倉庫に保管されているものはなにもありません。
後付け倉庫に屋根に使われていたトタンは外され、
天井のダイヤモンドトラスが見える状態になっていました。
これはこの後取り壊されるからできた配慮なのではと思います。
倉庫会社時代に定期的行われていた見学では、
ここまで見ることはできなかったのではと思います。
その隙間から天井を眺める。
このアングルでも、非常に巨大な空間であることがわかります。
それにしても美しい。
不規則に見えるけど実に規則的。
設計から鋼材の長さまですべて完璧にやっていなければ、あの外観の美しい曲線はできないはず。
そして今回壊す原因となった、屋根の破損。
これでは倉庫としての役割を果たせませんね。
去年(2019年)の台風が原因で屋根が破損してしまい、
修理困難の破損、老朽化の二重苦という状況でマンションデベロッパーの用地買収の声がかかり、
結果、取り壊しが決まったそうです。
正面の「顔」の外装は、トタン、鋼板ともになかなか厳しい状態で、
近代ではちょっと考えられないような構造をしていることから修理が難しいのかもしれません。
外側の屋根はトタンで覆われており、トタンに積もった汚れが、長い年月を感じさせます。
内部があんなに複雑な構造なのに、屋根のトタンは溝まで正確。
台風が主な原因となっていますが、これだけくたびれていると・・・
当時使用されていたレールの痕跡も残っています。
見学後は、展示されていた資料等を眺めてみます。
こちらの写真の中央のしっかりとした建物が「気球連隊第一格納庫」で、
〇で囲まれているのが、今回の「気球連隊第二格納庫」になります。
第二格納庫でこんなに大きいのに、それを凌駕する大きさの第一格納庫って・・・
第二格納庫を保存するあたって提供された写真も掲示されていました。
この格納庫で製作、管理されていた飛行船と気球が映っています。
この施設で作られた兵器として有名なのは、「ふ」号作戦で作られた、風船爆弾かと思います。
これをアメリカの本土まで飛ばして攻撃する、といったものです。
この気球爆弾は一宮の海岸まで運ばれ、発射されましたので、一宮の打ち上げ場所も史跡として残っています。
風船爆弾の戦果はwikiによると、9300発のうち1000発がアメリカに到着。
アメリカ側が認識できたのは285発となっており、それにより爆死したのは6人と、
作った数に比べて非常に少ないのですが、それは日本側ももとから承知しており、
遠く離れた日本から攻撃された、という心理的ダメージが与えられれば良かったようです。
というわけで、B級スポット活動をはじめた時から、
外観を眺めるしかできなかったこの物件、無事に内部を見学することができました。
この日に幸運にも見学できたのは570名ほどだそうで、
SNS全盛時代の中、意外と認知されていなかったことにも驚きました。
コロナ禍がなければ、もうちょっと最後を見届けた人が多かったのでは、と思いました。
歴史があり、なにげなく地域のランドマーク的な存在となっていた建物が消えていく。
古いものが無くなっていくのは仕方ないですが、
一方で未来の人たちに見せるべきものが減ってしまった、という何とも言えない残念な気持ちになりました。
以上、気球連隊第二格納庫をお送りしました。
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