2019/05/25 訪問
千葉県、茨城県の郷土史を中心とした出版社である、
崙書房(ろんしょぼう)が2019年7月末をもって業務終了するというニュースがありました。
B級スポットというのは郷土史と切って離せない面があり、
実際、私もこの出版社の書籍は非常に重用しておりました。
たとえば千葉県奥地の滝とか温泉とか、あるいは戦跡、酒蔵を巡ったりするためには、
ネットの情報では足りず、ここの書籍はほぼ必須なんじゃないかな、と思います。
おそらく私の自宅には10冊ぐらいあるのではと思います。
崙書房が重宝されてきたのは、他のどこもが扱わないような興味深い題材を数多く扱ってきたからであり、
その題材の1つとして挙げられると思うのが、今回レポする「福田村事件」です。
この事件を知ったのは、書籍リストでそのまんまのタイトルの書籍が発行されているので、
それを読んだのがきっかけですが、その書籍の内容をそのまま書くのは問題がありますので、
書籍の内容は触る程度で、基本はwikiをベースに書いていきます。
どのような事件かをごく簡単にまとめると、
関東大震災直後の騒乱の中、治安を守るために組まれた村の自警団が、
当時国から騒乱の元になるとされていた、朝鮮人に対して警戒していました。
その結果、村内に現れた怪しい集団に対する殺人事件が発生しました。
ところが殺された朝鮮人ではなく、日本人だったという事件です。
事件の舞台になったのは、当然ながら「福田村」ではありますが、
それは今となっては旧名称であり、現在は「野田市三ツ堀」となっています。
その地域にあるお寺の境内に、この事件の慰霊碑が建立されたようですが、
表立って公開されているわけではなさそうで、どの程度の扱いなのか気になったので、訪問してみました。
お寺の名前は「円福寺」とのこと。
最寄りの駅はつくばエクスプレスの「柏たなか駅」もしくは、
アーバンパークラインの「運河駅」になるかと思います。
ただし、そこからお寺がある河川敷近くまでは距離がありますので、
車かバイクでの訪問推奨です。
そして目印がほとんどないので、カーナビも必要かと思います。
そうして到着したのが、この円福寺です。
用なく立ち入りすることは禁止、のような看板がありますので、
不審者と間違われないように、入口すぐにある本堂兼社務所的な建物に入り、許可をとります。
社務所に入ると、住職らしき方がいらしゃいましたので、
「福田村事件の慰霊碑」について確認したところ、快く教えていただけました。
撮影の許可などもいただき、慰霊碑の場所まで移動します。
慰霊碑は境内の奥のほうにあります。
境内は結構広いので、案内がなければどこかわらかないかもしれません。
これが問題の慰霊碑です。
石造りのテーブルと椅子がありますが、
正直言って、くつろぐような場所ではないです。
慰霊碑というより、ほぼ墓石のような感じです。
真新しいように見えますが、平成15年(2003年)に建立したものとのことです。
卒塔婆には関東大震災の文字があります。
それぞれの古さが違うので、1年に1度、何かしらの法要的な行事が行われているのかもしれません。
そして慰霊碑の裏には、犠牲者のリストがあります。
下のほうには年齢が書かれていますが、ほぼ皆20代。
若者の命が混乱の中、失われてしまったという、悲しい事件であることがわかります。
さて、この事件はどのようなものであったか。
この事件が起きたのは1923年9月6日。
1923年9月1日に発生した、関東大震災後の混乱していた時期に発生しました。
大震災直後ということで国から戒厳令が敷かれ、
福田村の村民で組織された自警団200名が村中を警戒していたところ、
河川敷で行商人15名を発見。言葉が通じないので怪しい者だと判断されてしまい、
うち9名が殺され、利根川に流されてしまった事件です。
事件の背景として、悪い状況が複数重なっていることもあります。
〇日本の中心といえる場所で、未曾有の大震災が起きたこと。
〇大震災前に「三・一運動」が起こっており、国が率先して朝鮮人の弾圧を行っていた。
〇「朝鮮人が井戸に毒を入れた」等をはじめとする、デマが横行していた。
〇行商人たちは香川県からの薬売りで、この村の住民と意思疎通ができなかった。
この事件のあと、主犯といえる、自警団の数人は裁判の結果刑務所に入りましたが、
震災から3年後の1926年、昭和天皇即位に伴う恩赦で釈放されました。
そもそもが国として朝鮮人を弾圧している状況だったこともあり、
現在韓国が率先して行っている「愛国無罪」のような状況だったと言えます。
事件のさらに詳しい内容は、実際に書籍のほうを読んでいただければと思います。
さて、話は戻りますが、
こちらの慰霊碑、犠牲者たちは何故なくなったのかが記載されていません。
つまり、事件の概要をあまり公開したくないのではと思います。
事件を起こした自警団を率いる方=地元の名士であり、
彼らが逮捕されたと考えると、地元にとって不名誉なことでもあるからでしょうか。
お寺の住職に、立場について少しお話しを伺いましたが、
有志の方がお金を出し合って、お寺の敷地の中に慰霊碑を作った、という形のようで、
お寺としては「慰霊碑プロジェクト」には、形式的な法要でしか関わっていないようです。
でも、お寺からしたら、いきなり出てきて地元の恥を晒しにきた歴史家よりも、
檀家(地元の方々)との付き合いを大切にするのは当然のことだとは思うんですよね。
とまあ、こんな場所でした。
この事件を書籍化したのは、おそらく昔の出来事なのに、
現代でもおこり得ても不思議ではない、そういうことを著者は伝えたいのではないかと思います。
現在は関東大震災当時とは比べ物にならないほど、多くの外国人が生活されておりますが、
そうでない頃はそんなに寛容的ではなく、このような事件も仕方ないと思います。
では現代では情報化が進み、外国人に対しては珍しくはない存在なので、
このようなことは起きない、そう言い切れるでしょうか?
Twitter、SNSでデマは簡単に広がるし、外交関係においても韓国、北朝鮮との仲は険悪。
おまけに新潟で大地震が発生しており、都市圏での発生も遠くはないと思います。
千葉県民としては、県内でこのような出来事があったことを糧に、
このような悲劇を二度と起こさないように、あるいはきっかけを作らないように心がけてほしいと思います。
以上、円福寺(福田村事件慰霊碑)をお送りしました。
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