File 252 富田渡船(とみたとせん)跡

2013年春に、千葉県における利根川での最後の渡船が廃止されました。
現役時に見たことがない船着き場がどういうところなのか、訪問してみました。

【所在地】千葉県香取市富田から千葉県香取市富田新田
【交通手段】車かバイクで
【HP】ありません。


2016/06/11 訪問

千葉県は利根川、江戸川の2つの大河で囲まれており、
東京都、埼玉県、茨城県の一都二県からは切り離された形であることは、
このHPをご覧になっている方ならご存知かと思います。

今ではいくつかの橋がかかっており、当然のことながら自由に往来できるようになっています。
では、橋を渡るのと空を飛ぶ以外の、川を渡る交通手段といえば・・・渡し船しかありません。

千葉県における渡し船といえば、松戸市矢切から江戸川を渡り、
東京都の柴又帝釈天周辺にいける「矢切の渡し」が最も知られているのではと思います。
他には仁右衛門島への渡し船等がありますが、今回はあくまでも川ということで。

さて、「矢切の渡し」は江戸川を渡る船ですが、利根川はどうでしょうか。

残念ながら千葉県発で利根川を渡る最後の渡し船は、2013年3月末に廃止されてしまいました。
この廃止されたのがタイトルの「富田渡船(とみたとせん)」というわけですね。
現在はどうなっているのか、周辺を訪問してみました。




まず、基本的なこととして、どこを運航していたのか。

この地図左上に「JR水郷駅」があります。千葉マイスターならおおかた見当がつくと思います。
そして地図中央あたりに「小見川北小学校」があります。
対岸からこの小学校に通うための交通手段を主として、赤円の場所で運航されていました。

ちなみにこの赤円の場所から、
橋まで移動するにはどれぐらいの距離があるかというと・・・

北側は8キロほど先に国道51号の水郷大橋がありますが、8キロは遠すぎます。
南側の「小見川大橋」が現実的ですが、
それであっても橋の場所に行くだけでも距離は3キロぐらいあります。
対岸から対岸までは陸路で約6.5キロ。
小学生の自転車の速度は10キロあるかないかぐらいだと思うので、
もし船を使わずに走ったら40分ぐらいかかるかもしれません。
この数字だけでも地元の人にとって貴重な交通手段であったことがわかると思います。

というわけで現地に行ってみます。



地図を頼りに利根川の河川敷への道をあっちこっち探していると・・・
どうやらこの景色の場所のところが正解のようです。
ポイントは小学校から堤防まで行った場合どの道を通るか、ということですね。



この堤防周辺は舗装されていますが、車両立ち入り禁止。
国道交通省の資材置き場になっているようで、
近くのテトラポッドが大量に置かれている場所へはここから行くようです。



堤防をあがってみました。
小見川大橋がこの先にあるのですが、全然映っていません。
自転車だとしても気が遠くなります。それほど離れているってことですね。



そして看板をみると・・・
下のほうに「←100m 富田渡船」とあります。
このレポは対岸まで行って調べていますが、
「富田渡船」の名前が残っているのはこの看板しかありませんでした。



川のほうをみると、道が利根川のほうに続いています。
この道が1つの画像でおさまっていないのは何でかというと、単に道が大回りしているから。
直線で結んでしまうと、堤防上からだと急坂なので、自転車が事故を起こす可能性が大きくなるかも。
なので、傾斜がゆるくなるように遠回りで道を作っているのかも。まあ、間違いなくそうですね。



富田渡船は人は当然として、自転車、バイクが乗れるようになっていたようです。
なので、それ以外はNG、この場所から4輪禁止ということでしょうね。

運賃や時刻を調べてみたところ・・・

大人80円
自転車100円
バイク120円
最大乗員14人
運航時間7:15〜8:30は連続運航(つまり客がいたらすぐ出発)、
それ以外は夕方までほぼ1時間おき、だったそうです。



泥のような土がアスファルトを覆いはじめ、最後には獣道のようになっていきます。



3年の年月を経て、自然に帰りかけています。

もうちょっと近づいて周囲をみてみると・・・



コンクリートで作られた遺構が見えてきました。



別角度。
間違いなくここが船着き場として稼働していた場所ですね。



考えてみたら、利根川にここまで水際に近づいたことってほとんどないですね。
低いところから見ると圧倒的な水量と大きさに改めて驚かされます。



よくみると石垣が2種類あり、歴史を感じさせます。

富田渡船は廃止まで85年間運航していたとのこと。
計算すると1928年に運航開始、戦前ですね。
この年の歴史の教科書にある出来事というと、張作霖爆殺事件がありますね。



次は対岸の船着き場を探してみます。



対岸のところと同じく地図を頼りに進んでいいくと・・・
小見川大橋からこの場所まで、堤防へ自転車であがれる道がないので、
こんな感じの場所なら間違いないです。早速あがります。



堤防の上から。

対岸のほうは堤防側面は車両立ち入り禁止ですが、こちらはガンガン走っています。

Y字型の坂を下りて船着き場に向かいます。



こちらも3年を経たためか、アスファルト以外は草で覆われています。



利根川が見えてくると、道路に泥が堆積してきて、
タイヤの跡がたくさん見られるようになってきます。こちらは車がなんとか入れる(入っちゃだめだよ)
おそらくレジャーでボートをおろすにはいい場所なんでしょうね。



船着き場というか、道の終端。
やはりこれだけ遠いと、対岸の遺構はほとんど見えません。



対岸と違い、ギリギリまで石垣がありません。
周囲の建物の状況からして、夜の営業終了から朝まで係留していたのは向こう側ですね。



堤防から内陸に向けての風景。
この周辺だけだと、おそらく30戸あるかないか、ですね。
正直、この渡船を商業ベースで考えると、客観的にみてかなり厳しいといわざるを得ないですね。
実際、利用者数の減少と、船の老朽化が廃止理由になっています。
しばらく続けられたのは地元のために役に立ちたい、その一心でしょうね。

とまあ、こんな場所でした。

2013年の廃止の時は少しニュースになりましたが、
場所が場所だけになかなか行きづらく、結局乗り逃してしまいました。
しかし、矢切の渡しのように観光するものでもなんもでなく、
地元の住民を乗せてきて長い間愛されてきた交通手段ですから、
外からの人が乗ってドヤ顔するのもどうかなと考えると、それでよかったのかもしれません。

以上、富田渡船跡をお送りしました。

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