File 246 藤本敏夫記念館(鴨川自然王国)

1960〜70年代に日本を席巻した学生運動。
その運動の重要ポストを担っていた人物が、鴨川の山中に王国を築いていたという。
はたしてどのようなところなのか?

藤本敏夫記念館
【所在地】千葉県鴨川市大山平塚2−732−2
【交通手段】車かバイクで。
【HP】http://www.cafe-en.jp/ カフェ・エンのHP

2015/5/30 訪問

1960年代後半、日本は学生による苛烈な運動が行われていました。
読んで名のごとく「学生運動」という出来事ですが、
日本の近代史を語る上では絶対に外せない出来事です。

このレポ物件の主は、その学生運動で重要なポストを担っていましたが、
過激化したために脱退するも、責任をとらされるように収監されました。

出所後、この千葉県鴨川市に農業を中心とした王国を作り、
農業推進と政治活動を行っていました。

その方は2002年に亡くなっていますが、
最近になってその王国にカフェが作られ、一般人も入りやすくなったという情報が入り、
王国がどういうところなのか訪問してみました。



こちらは長狭街道の真ん中あたりにある有名観光地、「大山千枚田」です。
観光するのにベストなシーズンは、やはり収穫寸前の時期ですが、
夏の青々とした稲穂を眺めるのも良いもんです。

長狭街道周辺で収穫されるお米は「長狭米」といい、
千葉県でも高級ブランドの部類に入るお米です。
私が今まで売っていたものを値段を見る限りでは、
長沼産コシヒカリと同じぐらい、普通のお米より30%ぐらい高い印象です。



その大山千枚田の頂上にはログハウスがあり、
大山千枚田関連の展示や、イベント関連の業務が行われているようです。
そのログハウスの脇に、こういった看板群があります。

その中に目的地である「鴨川自然王国」があります。
看板を当てに進んでいきます。



前出の看板と同じようなものが、分かれ道のたびに設置されていますので、
それに従って進んでいきます。

風景は畑だったり、住宅だったり森だったりと、
移り変わりの激しい山道を走り続けると、いつしか行き止まりになります。

駐車場らしき広場に停めて進んでいくと、茂った木々の中から巨大な建物が見えてきます。



どうやらこの建物が目的地の「藤本敏夫記念館」のようです。

この木漏れ陽の雰囲気からわかるとおり、この場所はかなり涼しいです。
この日の気温は30度超えの予報だったのですが、
高原にいるかのように居心地が良いです。



入口の横には、その名前が掲げられていました。
まちがいなくここのようです。



そしてカフェ・エンの黒板。

藤本敏夫記念館はもともとあったようですが、
去年の10月頃にその中に併設されるような形でカフェができたようです。

入口の黒板にはその日のメニューが書かれており、
店内のメニューにはドリンクしかなかったので、
おそらくその日に収穫された農作物でメニューが決まるようです。



正面の入口をくぐると、藤本敏夫氏の写真パネルがお出迎え。

さて、ここで藤本敏夫について紹介を。

藤本敏夫は1960〜1970年代に発生した学生運動において、
全共闘の重要ポスト「反帝全学連」の委員長に就任していました。

学生運動を簡単に要約してみます。
1960年中頃、世界は冷戦&文革と激動の時代で、日本は高度成長のさなか政治的腐敗も進んでおり、
大学生の彼らは、本気で学生たちの力を結集すれば日本を変えられると信じていました。

最初のターゲットになったのは大学で、蓄財を目的とした商売をするのではなく、
お金をかけて学生を育てろ!そうしないと国が亡ぶ、
それをのさばらせた国も同罪だ!というような趣旨で活動が行われました。

運動は一部のメンバーにより過激化していき、
いつの間に暴力による国家打倒が目標となってしまいました。
暴力的な活動にひっこみがつかなくなったなれの果てが日本赤軍化、
そこまで学生運動に成果を求めていなかった学生たちは解散していった、というわけです。

当の藤本敏夫はというと、内ゲバが激化し、
世間も学生運動を支持しなくなった1969年頃に運動から離脱しましたが、
一連の運動ほう助の罪で収監。
収監中に獄中結婚したのが、有名歌手加藤登紀子です。
出所後は鴨川に移住、農業法人を設立し、農業普及と政治活動を生業とする。
選挙出馬等するが落選し、政界の舞台に立つことはなく2002年に病没。

こんな経歴の持ち主です。



入口すぐ右には藤本敏夫氏、そして加藤登紀子氏の著書とCD、
さらに娘で歌手のYaeのCDが積まれています。
一部は購入することが可能かと思われます。



入口から細い通路を進んでいくと、外の光をふんだんに取り入れた広い空間に出られます。
この画像の位置は2階で、すぐ右の階段で上下階に移動できるようになっています。



左側を見ると本棚が並び、藤本敏夫氏のポートレートと、
生前に読んだであろう蔵書が並べられています。



80年代の刑事ドラマで見そうな、イケメンです。



加藤登紀子とのツーショット。

藤本氏は年を重ねて変わっている気がするが、
商売柄か、加藤登紀子は容姿全然変わっていない気が・・・



そして彼の知名度をあげるきっかけとなった、学生運動。

私は学生運動をリアルタイムで見ておりませんので、
当時の世論の雰囲気などはわかりません。

逆にそれが原因で、当時の学生運動家の思想が理解できていないので、
「アブナイ思想の持ち主」という印象はぬぐえません。
学生運動が下火となった頃に物心がついている1970年以降の生まれ、
おそらく現在40代ぐらい、それより若い方は皆そうだと思います。
たとえ、それがその時代だから発生したことであっても。

実際、今回訪問するまで、そういう印象しかありませんでした。



本棚にはもちろんそれ関連の蔵書もありますが、
基本的には日本の地理、歴史、文化、政治に関連した書籍が多く、
学生運動離脱後も、日本の行く末を案じていたように思えます。



大きく光を取り入れたテラス席で、お茶することにします。
席はここだけではなく、外にもあり、
全部でだいたい20席分ぐらいあります。



席から見える風景は見渡す限りの緑。
かなりの山中に位置することがわかります。



メニューはこんな感じです。
お食事の場合は、前出の黒板がメニューになります。

この日同行した連れとシェアして味見したのですが、
これからの時期、ハニージンジャー炭酸割りが一番オススメ。
コーヒーは濃いめです。



「鴨川自然王国」のパンフレットをチェック。
この地域のおおまかな図が載っています。

ここをはじめて訪れるのであれば、カフェで雰囲気を感じてもらって、
そこで見聞きできる藤本氏の農業生活思想が琴線に触れるようであれば、
農業交流を体験して楽しんでもらう、そういう場所かと思います。



現在、藤本氏の後を継ぎこの鴨川自然王国を運営しているのは、
2012年に政界引退した元政治家の石田三示氏とのこと。
元政治家の性なのか、もともとの藤本氏の意向なのか、
安倍政権批判のビラ配布や、原発に関する啓蒙も行なっているようです。


とまあ、こんな場所でした。

以前の状態、つまり藤本氏の場所であることを認識した上でここに立ち入りするのと、
現在のカフェがある状態では、この場所への立ち入りの容易さが格段に違います。

でも、それは藤本氏が過激な運動家である、という先入観があるためではないかと思います。

藤本氏は収監された過去があるとはいえ、過激な運動を望まず学生運動を離脱しており、
学があり人格者なために、無理やり代表に祭りたてられてしまった不幸な方なのではと思います。

それふまえて、藤本氏の夢の跡として、この場所の雰囲気を楽しみ、
カフェでお茶をしてみてはいかがでしょうか。

以上「藤本敏夫記念館」をお送りしました。


>>Return