2014/07/19 訪問
私の祖父は、船橋競馬場の調教師でした。
父と母は直接競馬の仕事にかかわっているわけではありませんが、
一応私にとって、競馬の世界は遠い存在ではありません。
それはさておき、今回の場所を訪れるきっかけになったのは、mixi内でのマイミクのコメント。
なんでも、10年近く前に一世を風靡した競走馬がいったん行方不明になったものも、
最近になって千葉の牧場で余生を過ごしていることが判明したとのこと。
というわけで、そのニュースを聞いた翌日に訪問してきました。
こちらはJR外房線の御宿駅。
勝浦と同様に、海水浴で有名なところですね。
この御宿駅から、北西方面に目的の牧場があります。
御宿駅から北のほうに線路沿いに進むと、レンガのガード下トンネルがあるので、
それをくぐりしばらく進むと、御宿町役場への看板が出ている交差点があり、
そこを町役場方面に曲がり、道なりに進みます。
道中は画像のような風景が続きます。
しばらく進んでいくと・・・・右手にこんな看板が見えてきます。
看板には「マーサファーム」とあります。
車が止まっていて、誰かいるようなので入ってみます。
敷地はそれほど広くなく、柵で囲まれているトラックも直径10mあるかないかぐらいです。
進みます。
右手に馬房(ばぼう)がみえます。
そして、ここの管理者もこちらにいるようです。
ところが・・・
この「行方不明の馬が見つかった」ニュースを聞きつけてか、
記者が取材していました。取材中に声をかけるのもあれなので、
少し断りを入れた後、そのまま取材を見届けることにします。
馬房はこんな感じです。
馬はポニーも含め、全部で9頭いるようです。
他には防犯のためか、犬と、山羊が飼育されていました。
ヒシアンデス。
ネットケイバのページを見てみると、母親はあのヒシアマゾン。
ヒシアマゾンの世代はナリタブライアンが走っていた競馬ブームの時でしたね。
しかし、こちらの戦績は4戦未勝利。強い馬の子供は必ずしも走るわけではないんですね。
でも、間近で見ると堂々とした体躯。サラブレッドそのものです。
で・・・・目的の馬はというと・・
おおお!この馬です!
この馬房にいる他の馬は、この「うーちゃん」以外は首をシャキッとあげているのに、
だらりと下がったまま。気弱な性格なのかな?
さきほどの馬名は「ヒシアンデス」ってちゃんと書かれていたのですが、
こちらは「うーちゃん」。
現役時の名前が刻まれていません。
所有者も空欄で、素性を隠しているとしか思えないですね。
でも、うーちゃんなら、なんとなくわかりますね。
さきほどの取材されていた方と厩務員さんがいろいろお話しされた後、
これから走らせるとのこと。ラッキーすぎる!
思い立ったらすぐ行ってみるもんだ。
馬房から外に出された「うーちゃん」。
虫よけスプレーやブラッシングで汚れをとったあと、馬具を装着。
厩務員がまたがり、走り出す。
10年の時を超えて蘇る、あの走り。
高知競馬場でデビューしたのが1998年11月17日。
高知で走り続け、最後に走ったのは2004年8月3日。
通算戦績は113戦未勝利。
獲得賞金は112万9千円。
そう、すでにお気づきだとは思いますが、この「うーちゃん」、
現役時代の名前は、「ハルウララ」です。
有名な競走馬が引退後行方不明なことは、残念ながらよくあることです。
このハルウララも例外ではなく、長らく行方不明となっていましたが、
つい数日前に、このマーサファームに繋養されていたことが判明したばかりです。
行方不明になった経緯は、高知新聞のサイトで確認できます。
高知新聞の記事
記者の前で駆け抜けた「うーちゃん」に水を浴びせて、拭き取る。
どちらの媒体の記者かは、邪魔になりそうなので聞くことができなかったのですが、
結構写真を撮られていたので、ここに「ハルウララ」が繋養されているというのは、
近いうちに雑誌に出るんではないかと思います。
とまあ、こんな場所でした。
ハルウララブームの時は、高知競馬場がメインだったので生で目にすることはできず、
ネガテイブなニュースでしかその走りを目にすることができなかったわけですが、
行方不明のち、こうして目の前で走る姿を見ることができる。なんという奇跡。
あの謎のブームを知っている競馬ファンであれば、目にしておいて損はしないと思います。
以上「うーちゃん」をお送りしました。
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