時をさかのぼって、1969年11月3日AM2:00。
この「西千葉ストアー」の2階に10人ほどが集まりました。
そして5時間後のAM7:00。
20分間隔ぐらいで1人、2人と出てくる。
千葉県警はこの西千葉ストアーの中で何かが行われていることを嗅ぎ付けており、
その中の1組を尾行しました。
その1組を尾行した結果、山梨の山中にある「福ちゃん荘」に行き着きました。
ここに集まった人は全員で53名、うち25名が少年。
彼らは「共産主義者同盟赤軍派」と呼ばれる集団でした。
赤軍派では「PBM作戦」なる複合作戦を起案しており、
Bにあたる「ブロンコ作戦」は首相官邸、警視庁をテロの標的とする計画でした。
このブロンコ作戦のためにこの福ちゃん荘で鉄パイプ爆弾等の爆発物、凶器等を準備、
テロの実行訓練を行う予定でした。
11月5日早朝、警察部隊250人が福ちゃん荘に投入され、
53名全員が凶器準備集合の現行犯逮捕されました。
この出来事は「大菩薩峠事件」と呼ばれています。
この事件により赤軍派は弱体化し、他の同士と連合し「連合赤軍」となり、
「山岳ベース事件」による仲間割れから、「あさま山荘事件」と至ることになります。
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