File 160 B29搭乗員之墓

戦時中、米軍爆撃機B29が横浜空襲から戻る途中、千葉の山中へ墜落。
米軍とはほとんど関係が無い地元民が、慰霊のためにお墓を建てたという。
はたしてどのようなものなのか?

B29搭乗員之墓
【所在地】−
【地図】−
【HP】−
【交通手段】−



2011/07/03訪問

以前ツーリングをお供させていただいた某氏から、
「B29搭乗員之墓」へお墓参りするので一緒に行かないかというお誘いを受け、
興味がある物件だったのでぜひとも、ということで参加させていただきました。

準備するのは長靴軍手とのことで、
どうやら山中を藪漕ぎしたり、川を渡ったりしないといけない場所と予想したのですが、その通りでした。
T秘境やS秘境などとは違い結構なレベルの障害があるので、生半可な準備で訪問するとトラブルの原因になります。
場所にアテがついても、複数人数で行動するようにしてください。

物件の場所ですが、この物件はいたずら等があった場合、
国際問題に発展する可能性があるため、場所は明かしません。



千葉県の某山中。
入口周辺からは房総を横断する道路が見えるのですが、
この場所へは直接アクセスできません。


その新しめの舗装の道路のガードレールの切れ目から、
雑草が生い茂る中へ切り込んでいきます。
本当にそっちにあるんですか?


わずかに轍になっているところが残っており、それを頼りに進んでいきます。
時期的なこともあり、雑草だらけです。
秋冬の草の少ない時期だと、探索は少し楽になるかと思います。


森林ゾーンに突入。
地面は沼地のようになっており、ここで長靴着用の意味がでてきます。
沼地に足を踏み入れると、15cmぐらいは沈みます。




沼地エリアを抜け、山中の傾斜がある道を歩いていくと・・・


信じられないような立地の悪い場所に、
森の隙間からの光を受けて、まっすぐ建っているお墓がありました。

線香皿には火のついていない線香が置かれ、左にはペットボトルが置かれており、
この山奥に定期的な参拝者がいることを示しています。


墓石正面には「B29搭乗員之墓」。

B29はいわずもがな、戦時中のアメリカの主力爆撃機、
「B−29 スーパーフォートレス」のことです。

終戦が近い頃、横浜空襲の帰りにこの地に墜落し、12名の搭乗員が死亡したとのこと。
終戦から6年後、一般の方である影山氏が建立したそうで、理由等は不明だそうだ。

この慰霊碑が存在することを他の人に知らされたのは建立から約30年後の1980年。



慰霊碑の存在をアメリカ軍関係者に伝えたところ、
アメリカ人の手による慰霊がおこなわれるようになったとのことです。
卒塔婆をみるとアメリカの表記があるのがわかります。


とまあ、こんな感じの場所です。

この物件で一番疑問になっていることですが、
対米感情が良いとはいえない終戦6年後に、
米軍とはゆかりもない、地元の住民が建立したこと。それはなぜか?
おそらく、対米軍の外交のために作られたものではないかと想像してみます。
建てた本人がすでにこの世にいないので、真相は誰にもわかりません。

異国の地で散った12人の命。
日本流のお墓で本心かどうかわからない慰霊が行われれ、
魂はこの地をさまよいつづける。
魂の存在を信じると、なんともいえなくなる物件でした。

以上、B29搭乗員之墓をお送りしました。
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