File 151 黄色い飛行機

戦時に日本の航空拠点の1つとして活躍した「香取航空基地」。
その跡地に作られた公園に、黄色い飛行機が展示されている。
はたしてどのようなものか?

黄色い飛行機
【所在地】千葉県旭市鎌数以下不明
【地図】googleマップ
【HP】ありません。
【交通手段】JR総武本線 干潟駅から徒歩15分



2011/04/17訪問

日本を襲った震災からはや1ヶ月。
人々は心身的な落ち着きを取り戻し、ガソリン事情も安定してきたこともあり、
HP再開と相成りました。

今日は飯岡の被災地見学がメインでしたが(リクエストがあればレポ作成します)
災害についてレポしたところで心理的に落ち着かなくなるだけなので、
幸運を呼ぶ黄色を扱うということで、再開一発目は「黄色い飛行機」についてレポしたいと思います。


今回の物件は、災害があった飯岡駅から2駅の距離にある干潟駅近くにあります。
こんな感じですが、一応有人駅で、自動改札があります。


駅から出てちょっと走ると、
ご覧のとおり「あさひ鎌数工業団地」への案内板が見えます。
この方向に進みます。


工業団地らしく直線が続きますので、ひたすらまっすぐ進みます。


進んでいくと、周囲の建物が減ってきます。
左手に野球場がある場所で、右のほうを見てみると・・・


公園があります。
ここが目的の場所です。


バイクを停めて公園の中に入ります。
正面には屋根のついた建屋があり、飛行機がとまっています。


目を引く黄色い機体。
周囲が柵で囲まれていますが、人の気配が全くない場所なので、
乗り越えていたずらされそうな気がしますが・・・


説明はこれだけ。
アメリカから供与品ということで自衛隊が受け取ったものを、
旭市が借りているそうです。

・・・一番欲しい情報は、「それを借りた理由」なんですが。

さりげなく公園の名前も出ていました。「旭緑地公園」だそうです。


柵のすきまからレンズを突っ込んで撮影。
黄色い機体に日の丸ペイント。
アメリカからもらったものだけどいいのかな?


後ろのほうには「海上自衛隊」と。
そこそこに撮れていますが、肉眼で見ると状態は悪く、
おそらく軽い整備では飛ばないと思われます。

しかしまあ、なんでこんなところに置いてあるんだろう。


同じ公園の一角にはこんなものもあります。
慰霊碑だそうで。


昔ここに香取航空基地があったわけですが、実質2年しか稼動していないそうです。
太平洋戦争初期は四国の松山基地に空軍の主力部隊がいたのですが、
終戦が近い頃に香取&茂原に移動し、拠点にしたそうです。
おそらく戦場になっている太平洋が近いという理由からだと思いますが。
そして悲劇の部隊「神風特攻隊」が出撃した基地でもあります。

そういう背景から、この基地から出撃した部隊は命を落とす可能性が高かったようです。


この工業地帯の地図。

斜めに細長い楕円形の区間がありますが、
これが香取航空基地時代の滑走路そのままの位置になっています。
今、ここはどうなっているかというと・・・


その地域を回りから見てみたのですが、
柵がニ重にあり、さらに木々で囲まれています。
くまなく探してみましたが、木々の配置が絶妙で中を覗ける場所はありませんでした。


探している途中、こんな看板が。
「日清紡テストコース」と書いてあります。

「日清紡」は、自動車のブレーキとして有名なメーカーです。
ブレーキのテストをするためには長い舗装路が必要なわけで、
この場所がおあつらえの場所だった、ということでしょうか。
産業スパイとかを防ぐ意味で中が見えないようになっているのではないかと考えると、
無理に覗く方法を考えてもしょうがないと思い、中を見るのはあきらめました。

とまあ、こんな感じの場所です。
この黄色い飛行機、おそらくは「この地に香取航空基地があった」ということを、
後世に伝えるために置いてあるのだとは思いますが、肝心の場所が全く人気のないところなのが・・・。

そもそも、飛行機を借りている事実からわかるとおり、
「香取航空基地」を広報できる遺物、資源、スポットがこの周辺に存在しないようですし、
「史跡」ではあるが、観光的な展開は難しいかなと思いました。

このスポット周辺は全く混雑していませんし、見るだけならほとんど時間はかかりません。
銚子へのドライブなどの途中に一目見て、悲劇の歴史の場を知っておくのもいいのではと思いました。

以上、黄色い飛行機をお送りしました。
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