2010/11/27訪問
私はB級スポットを探す以外にも、バイクで走るのが趣味ですから、
地図を広げて、ここのあたりはどんな感じになっているのかな?とか、
ああ、このあたりは以前走ってこんな感じだったな、といろいろ想像するのが好きなわけです。
ある日、たまたま地図の東金市の部分をながめていたところ、
東金市にある極楽寺という地名のところに、「極楽寺遺跡」という名称が出ていました。
インターネットで早速調べたところ、ほとんど情報が無く、
現地でこの遺跡を探して、結局見つからなかったという報告をあげているところもありました。
ならば私がいろいろ調べてきてやる!ということで本日行ってきました。
これが問題の地図。
赤字でしっかりと極楽寺遺跡とありますが、
周囲に道がなく、ぽつんとあります。
結果的にはそれが重要なヒントでした。
成田から東金をほぼまっすぐの道でつなぐ国道409号。
その国道409号のほぼ中央に近いところに、極楽寺という地名があります。
この場所が極楽寺交差点。
地図的には、この交差点を北に行き、
ちょっと走ってから東側に入れば目的のところにいけるはずなのだが・・。
しかし、この周辺に物件までの道がほとんどありません。
周囲をグルグル回って検討した中、この道に突っ込んでみることにしました。
思いっきり悪路でした。
技の2号(YBR125)で行くべきだった・・。
道を抜けると農地に出ました。
鳥居と、畑の真ん中に墓地があります。
この地域、離れ島のように墓地があっちこっちに点在しています。
おそらく「極楽寺」という地名からして、墓地を作るのに縁起が良かったのかもしれません。
まず、鳥居から調査してみます。
農地からいきなり道が敷かれている鳥居。
かなり昔からあり、その時は道が続いていたことが想像できます。
暗い森の中を進んでいきます。
進んでいくと神社のようなものが見えました。
この神社は「三社神社」とのこと。
周囲のものをいろいろ調べましたが、極楽寺遺跡との関連はなさそうに見えました。
さらに鳥居から右側のほうにある入口。
こちらにも入ってみます。
進んでいくと人気の無いお寺がありました。
お寺の名称は「本極寺」で、こちらもやはり極楽寺とは関係なさそうです。
特に遺跡というわけでもなく、普通のお寺でした。
お寺を出て、地図を何度も確認しながら周囲を見回す。
周囲をいくらさがしても、「極楽寺遺跡」を示すような看板はありません。
もはや、詰みか。
まだ時間はあるので、落ち着いて考える。
・・・
・・・・・・・・・・・!?
・・・我々はとんでもない思い違いをしていたようだ・・・(1人だけどキバヤシ風)
インターネットで「極楽寺遺跡」で検索すると、
他の県にある「極楽寺」という寺社の遺跡が表示されるわけです。
「極楽寺」単体で検索してもやはり普通に極楽寺というお寺が出てきます。
しかし、この東金の物件のものは出てこない。
つまり、
「極楽寺というお寺の遺跡」があるのではなく、
「極楽寺」という地名にある、「お寺じゃない遺跡」があるのではと。
この発想が思い浮かび、地図を眺めて、問題の場所をサーチ。
これだ!間違いない!
さきほどの畑の真ん中にあった墓地。ここが極楽寺遺跡ではないかと。
墓地までの道を見ると年代を感じます。
道を歩いていくと・・・。
墓地の中に小さい山のようなものがあります。
そう、古墳の形状です。
畑の中にあったので、最初は堆肥の山かと思ったのですが違いました。
そりゃ墓地のすぐ横に堆肥の山なんて、先祖に失礼ですもんね。
古墳特有の段差の形状があることがわかります。
引いて全景。もうちょっと高いアングルから撮ればはっきり形がわかりそうですが、
平らな畑なのでこれが限界でした。
場所的にも、これが極楽寺遺跡であることは間違いなさそうです。
実際に物件を見てみると、遺跡と一般の墓地が一緒になってしまっているため、
観光地として公開するわけにはいきません。
そのために普通の地図には載せていないし、
案内する看板も作っていない、そういう理由かなと思います。謎は全て解けた。
というわけで、ネットに情報が無かった物件でしたが、無事に発見できました。
見てのとおり、遺跡の上に墓地が置いてあるだけの場所なんですが、
こういう場所であるとわかっただけでも、私的には十分満足できる成果だったと思います。
以上、極楽寺遺跡をお送りしました。
−−−−2010年12月5日追加−−−−
相互リンクしていただいている「K web」のKeiさんから情報をいただきました。
このレポで「古墳」としている物体は古墳ではなく「塚」だそうで、
正式名称は「大塚(おおつか)」と呼ばれるそうです。
さらに、「大塚(おおつか)」と、「極楽寺遺跡」は別扱いで、
「極楽寺遺跡」の名称は、この一帯の発掘作業が行われた全てを指しているとのことでした。
Keiさんご提供の画像その1。
地図中央に11と12の数字が書かれていますが、
12のところだけ位置がはっきりしています。
Keiさんご提供の画像その2。
上記地図の数字に対応する名称。
12のところは大塚になっています。
11のところが、極楽寺遺跡と。
つまり「極楽寺遺跡」とは、明確な遺構となる目印が存在しないものだったということになります。
なぜそんなマイナーな場所の名称を載せるんですか「○ーリングマップ○」さんは・・・。
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