File 102 夢窓国師坐禅窟(金毛窟)

道路からよく見えない案内板の先にある太高寺。
このお寺の斜面にある洞窟には、後醍醐天皇が招聘したが断ったという、
夢窓国師なる人物が坐禅生活を送っていたという。
はたしてどのような場所なのか?

太高寺
【所在地】千葉県いすみ市能実957
【地図】googleマップ
【HP】ありません。
【交通手段】バイク、車で。

2010/02/13訪問

前のレポの小又井観音からかなり近い場所に、
名前のインパクトは千葉トップレベルの物件があります。
その物件の名前とは、「夢窓国師坐禅窟(むそうこくしざぜんくつ)」です。
歴史の授業で太古のロマンを感じる人にとっては、この名前だけでもワクワクしますよね?
早速レポします。


場所は地図を見てもわかるとおり、通ることがほぼ無いような道です。
県道85号と平行して出来た、睦沢と国吉の間を結ぶ新しい道の途中に、能美交差点というところがあります。
その交差点を東のほうに曲がっていくと、少し路側帯が広い場所があります。
よくみると、歩道の近くに太高寺の看板があります。
普通に走っているとその看板に気づくのは難しいと思います。


お寺までの道は細く、コンパクトカーならなんとか通れるレベル。
できれば車は下に置いて歩いていったほうがいいかなと思います。


歩いていくと、お寺のようなものが見えてきます。
これが太高寺のようです。


しかしこれが太高寺というような案内がありません。
入口に掛けてあった額には、「指定書」なるものがありました。
昭和55年と、約30年前のものです。


お寺のような建物の左には「夢窓国師坐禅窟(金毛窟)」の説明があります。
なんと、鎌倉時代ですよ?かなり古いので期待できそうです。


説明板の横に道が続いていますので、進みます。


坂のようになって、山のほうに続いています。


U字カーブを曲がると、壁に穴が掘られ、そこにお墓が設置されています。
それも複数。


さらに進んでいくと、ひときわ大きめの穴があります。
中にはお墓が置いていないし、記念碑みたいなものもついています。

・・・・ひょっとして、これですか?
あまり古いものには見えないのだが・・・。


記念碑のようなものを見てみる。
昭和54年に修復した、というようなことが書いてあります。
道理で人工的な形をしていたわけです。


中に入ります。
高さ約2m、たたみ2畳ぐらいの空間です。
とりあえず壁から文字を探してみます。


現地でもかなり読みづらかったので、写真にしてみるとさらに・・。
右から金毛窟の文字が書かれていますが、
おそらく「毛」ぐらいしかわからないと思います。


入口右のほうにはくっきりと書かれた文字がありますが、意味はわかりません。
あとは墓石とか地蔵がちょろっとあるぐらい。
そのまま出て調査終了。

とまあ、こんな感じです。
惜しむべきは修復したとはいえ、いかにもセメントで固めましたという感じの入口のため、
それほど鎌倉時代のロマンが感じられないこと。
自然の雰囲気がある入口を保っていてかつ、「金毛窟」の文字がはっきりしていれば、
巷で流行っている言葉「パワースポット」になり得る場所だったかもしれません。
いろんな意味で惜しいスポットでした。


以上、夢窓国師坐禅窟をお送りいたしました。
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