2009/06/14 訪問
成田の周辺には、牧場の記念館がきわめて近い距離で複数存在します。
理由としては、現在の成田空港周辺が大昔、馬車駅として賑わっていたためです。
その成田空港を昭和53年に開港するために、もともとあった牧場は消滅することになりました。
その牧場の記念館が、今回訪問する三里塚御料牧場記念館になります。
それではレポします。
成田空港のふもとにある、三里塚記念公園の入口です。
この公園を歩いていくと外国人の子連れの方が遊んでおり、
空港の近くにはやはりパイロットの方々が住んでいるのだな、と感じます。
公園を歩いていくと、貴賓館がありました。
「三里塚御料牧場」の元は1つだけの牧場ではなく、複数の牧場施設があった地域でした。
それらが1つにまとめられて「三里塚御料牧場」となったわけです。
その中の羊毛担当の人が建てた建物ということです。
入口。
よくヨーロッパで豪邸で見る、入口前の円形ロータリーを再現していると思われます。
ま、もともとあったところからの移設なので、どれぐらい再現されているかは知りませんが。
貴賓館全体の写真です。
洋風かと思ったら思いっきり和風でした。
屋根が特徴的なのと、床が高いような気がします。
牧場という土地柄、虫が多いからでしょうか。
田舎がこういう家だったら、毎年お盆の時に帰りたくなるんだけどねえ・・。
中には入れませんでした。
次にいきます。
お次は牧場主になったことのある、新山荘輔氏の銅像。
牧場のある当時の年代を考えるとかなり写実的だな・・とおもったら出来て5年程度と最近のものでした。
もともと銅像があったそうですが、大戦の金属供出のために溶かされたとのこと。
説明。
簡単に言うと、畜産獣医を育てる学校を作ったということです。
日本一レベルの牧場ですから、検体がたくさんあったんでしょうね。
記念館に移動します。
こちらが記念館になります。
なかなか良い雰囲気を感じる建物です。
残念ながら撮影禁止なので入口まで。
中の展示物を箇条書きで説明。
1.
現代の電車にも駅があるように、馬車にも駅のようなものが存在しました。
現在成田空港があるこの地は、もともと大きな馬車駅がありました。
コースとしては、東京からの道は船橋あたりで2つに分岐して、片方がここまでつながっていました。
つまり、成田街道そのものということになります。
その馬車駅の歴史の展示がされています。
2.
畜産業が非常に盛んで、羊毛、乳業、食肉やソーセージ等の製造、果てには競走馬の育成も行っていました。
競馬黎明期の記念レース優勝場がほとんどこの牧場産とのこと。
日本最初の三冠馬セントライトの親である、ダイオライトを保有していました。
この牧場の昔の地図が展示されているのですが、それを見てみると競馬用のトラックがありましたので、
調教も普通に行っていたと思われます。
3.
畜産業が大規模だったため、獣医の存在もかなり重要なものとなっていました。
そこでさきほどの銅像の人が学校を作って、獣医さんを育てあげたということです。
4.
御料牧場という名前の通り、いくつかの牧場が1つになり、それが天皇家の持ち物になりましたので、
昭和天皇の使った馬車や、そこまで行くのに使った電車の座席(!)がそのままあります。
5.
現在の成田空港のちょうど半分の面積がこの牧場だったそうです。
現在の地図と、昔の地図が展示されています。
こんな感じです。
展示されているモノの史料価値は結構高いと思います。
入場も無料ですし、無料としてはレベルの高い資料館となっておりました。
競馬関係の資料として展示されているものの中に、競馬ファンの中では有名と思われる、
ダイオライトの碑がこの敷地内にあるらしい。早速探してみます。
少し探してみたところ、石碑が3つ並んでいるところがありました。
左は畜産医はじめました碑。
右は名馬トウルヌソルの碑。(産駒6頭がダービー優勝、サンデーサイレンスと並ぶ記録)
そして中央がダイオライトの記念碑。(日本最初の三冠馬、セントライトの父)
このダイオライト、現在船橋競馬場で行われているG1レース「ダイオライト記念」は、
この馬の功績を記念して行われています。
ワタシが生きている間、ナリタブライアン、ディープインパクトの2頭しか3冠馬が産まれていないわけですから、
それの最初というのはかなり凄い功績だったと思われます。
以上、三里塚御料牧場記念館とその公園をレポいたしました。
公園の雰囲気は由緒正しいという雰囲気を放っており、
安らぐのと同時に、聖域というような雰囲気を醸し出しています。
博物館観覧を含め、静かな時を過ごすような場所でした。
騒々しい日常を送っている方が心をやすらげたいというようなとき、ここはオススメだと思います。
以上、三里塚御料牧場記念館をお送りいたしました。
>>Return
|