2009/03/28 訪問
八千代から富里方面に向けて走ると、ほぼ確実に今回の紹介地点のあたりが渋滞します。
その渋滞しているときに、遺跡の案内板が見えて前から気になっていたのですが、
本日ようやく訪問。
こんな感じで案内板があります。
この案内板の次の案内板以降、ぱたっと途切れますが、
ずっとまっすぐ走っていくと、到着します。
つきました。ここです。
古いほうの看板。
最後に昭和56年とあります。
ワタシが生まれてまもない頃ですね。
大きいほうの看板。
左の文章を要約すると、
「遺跡の発掘作業はすでに完了し、ここの地主の意向で農地に戻してあります」
ということです。
つまり、石器とかが出てきた場所ではあるが、今はただの畑が広がっているだけなのです。
確かに畑しか広がっていません。
戻って地図を見ると、隣に縄文チャレンジキャンプ場があり、2軒の竪穴式住居とあります。
意外によいものがあるかもしれないので、行ってみます。
耕されたばかりの畑が見えますが、地図ではこの先のようなので、
脇を歩いて進んでいきます。
お、少し広くなっています。
これが縄文チャレンジキャンプ場です。
廃な空気です。
荒らされたような感じになっており、
奥には作りかけの土器があります。
作っている最中に神隠しにあったような、そういう感じです。
う、こんなん出るんですか。
まだ春先でよかった・・・。
住居発見。
正面から。
なんかワラが足りていないように見える。
だからビニールで覆っているんでしょね。
中。雰囲気ありますね〜
でもコレ、フラッシュたいてますから、本当は真っ暗です。
真っ暗すぎたので、入って数秒で脱出しました。
もう1軒あるはずなのですが、この状態でした。
怪しいトーテムポールが並んでいます。
奥に櫓とくれば・・。
妖怪やぐら男と言われる俺は、登らなければいけない宿命にある。
危険度はかなり高いです。ギッシギッシ言っています。
慎重にのぼります。
櫓から見下ろした景色。
とまあ、こんな感じです。
ワタシは遺跡を期待してここに来たのはおわかりかと思いますが、
遺跡は無い上、シーズンオフのキャンプ場ですし。
ぶっちゃけ、史跡としても、B級スポットとしても、来る価値はゼロです。
以上、南大溜袋遺跡をお送りいたしました。
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