| 2008/09/21 訪問 
 廃墟マニア、建築物マニアの中で有名な検見川送信所を訪問してみました。
 この建物の由来について。
 1926年に電電公社が設立した、日本で初めての短波による標準電波を送信した施設であり、
 フィリピンや硫黄島等、南方の占領した国との通信を行う拠点だったそうです。
 建物は有名な建築家、吉田鉄郎氏の設計であり、非常に美しい形をしています。
 1979年に役目を終えて、以降廃墟化しています。
 そして、先月2008年8月からこの建物を保護しようという(文化財にする)動きが始まっています。
 
 
   新検見川駅南東方面の住宅街を歩いていくと、突如広大な空き地になり、
 なにやら建物が見えます。
 
 
   これは検見川送信所の裏側です。
 ぱっと見でもかなり美しい。
 美しさの元は、角をまるめているところと、窓の並び方か。
 
 
   送信所手前は新しい道ができていました。
 保護活動の一環として作られたものと思われます。
 それでは表側に回ってみます。
 
 
   ごらんの通り、重機が並んでいます。
 名目は資材置き場になっているようです。
 ちなみにこの土地は2008年3月までは学校を建てる計画だったのですが、中止。
 つまり、今年に入ってから市を挙げてここを保護することが決まったみたいです。
 よかったよかった。
 
 
   入口前のオブジェ。
 何かの記念碑だったみたいです。
 
 
   そして検見川送信所の正面。建物の造形はともかく、入り口の階段のカーブとかでも見てると、本当に美しい。
 廃墟マニアのページに書かれていることの受け売りですが、
 建物の中や屋上までもが角がまるめられていて、非常に凝った作りになっているそうです。
 2005年頃にすべての入口、窓が封鎖されたそうです。中が見たかったなあ・・。
 でも保護活動が始まったわけですし、再び中に入れる日も遠くはなさそう。今後に期待。
 
 以上、検見川送信所をお送りいたしました。
 
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