2008/07/20 訪問
梅雨が明けて夏本番。
今回は九十九里にある太東崎周辺にある「波の伊八」に関する寺社を巡ってきました。
さて、「波の伊八」とは誰のことでしょうか?
この人物は千葉の風土が生んだ、世界の大彫刻家です。
とはいっても、「波の伊八」という名前はとどろいていません。
しかし、「ある形」で彼の作品が有名な画家のネタに使われており、
そうしてできた絵が「世界一の風景画」になったのです。
レポで追って説明します。
茂原から東に向かって走り、夷隅の町に到着。
まずは太東崎に向かいます。
狭く急な道を走りぬけて、駐車場に到着。
この日は暑いのでアイスで水分補給。
ここのソフトクリームはなぜかセルフサービス。
失敗してぐちゃぐちゃになりました・・。
これが太東崎灯台です。
灯台そのものが千葉の他の有名灯台より小さく、インパクトはあまり無いです。
海を眺める。雨雲がよく見えます。
陸側。意外に景色がよい。
ここでアメリカから飛んできた爆撃機を狙撃していたそうです。
これで岬からはひきあげますが、この灯台のすぐ近くに、
「波の伊八」の作品がある飯縄寺がありますので、そこに向かいます。
バイクで5分程度で到着。
ここが飯縄寺になります。
境内に入る。絵のようなきれいな境内で驚きました。
千葉のお寺のなかではベストに挙げたいぐらい境内のデザインが良いです。
本堂の説明。
「波の伊八」の名前が出てきました。
本堂です。観光客が数人来ていました。
拝観料300円を払わないと本堂の中をみることはできません。
迫力の彫りです。
これが波の伊八作、牛若丸と大天狗の図です。
これはスゴイ。写真でもすごいですが、この彫刻のウリは立体感と構図。
立体感は写真では見えない。現物を見ることを強くオススメします。
左の彫刻。
右の彫刻。手抜きなしの大迫力です。
他にも鐘楼が立派、マリア像?などのみどころがたくさんあります。
この飯縄寺、非常にオススメです。太東崎に観光のついでにどうぞ。
ついでに太東崎の近くにある麻雀博物館によってみる。
「近代麻雀」で有名な竹書房の社長が作った博物館です。
入館料500円です。
中はこんな感じです。世界の麻雀牌が大量に展示されています。
展示物の9割が麻雀牌で、それ以外のがほとんどありません。
一応私は親と麻雀をすることがありますので、ひととおり見ましたが、
得た知識が後学のためになるかというと、まったくそう思いませんでした。
というか、その知識を麻雀そのものにすら生かせないのも考え物。
麻雀を知らない人にとっては、まったく興味がもてない博物館ではないかな、と思いました。
ということで、微妙な博物館でした。でもこういうのがB級スポットの醍醐味。
ふたたびバイクにまたがり、少し内陸のほうに走っていき、行元寺に向かいます。
バイクで20分ほどで行元寺入口に到着。
ここで「波の伊八」の例の作品が鑑賞できます。
日光ってこんな感じだったな・・・。
結構な距離を歩いて到着。
なんか有名寺社特有の「神秘的な雰囲気」は感じなかった。
原因は代わりに「商売っ気」を非常に感じたからであろう。
商売っ気は寺社の雰囲気を削いでるような気がします・・・。
境内はくどい量の撮影禁止の張り紙があるので、撮影はできず。
気分よく見ることができた飯縄寺を見習ってほしいです。
拝観料は300円。
本当は予約しなければいけないのだが、この日は波の伊八特別展示日だそうで、ガイド付。
まずは本堂の欄干にある高松又八の作品にご案内。けばけばしい派手な極彩色の彫刻。
それもそのはず、高松又八は徳川家お抱えの伝説の彫刻家なのです。
入口の参道もあいまって日光東照宮を連想させてくれます。
ですが、肝心のこの人の作品は東照宮には無いみたいです。
火事でほとんどの作品が焼失、残った作品はここにあるものだけ、だそうです。
その後に目的の波の伊八の彫刻にご案内。
照明をつけたり消したりして説明してくれます。
え?ここを使ったの?みたいな驚きもありましたが、
この彫刻で金GETだぜ!みたいな雰囲気がおちつきませんでした。
展示方法を変えればよいのにな・・・と思いました。
参道の入り口にデカイ写真があったことを思い出して、それを撮影。
これなら文句はいえないはず。
これが葛飾北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」の元ネタになったそうです。
波の伊八がこれを作った20年後、葛飾北斎が富嶽三十六景を発刊したそうですので、
葛飾北斎のほうが後発になります。
以前行った浮世絵博物館の館長の説明の受け売りですが、
世界で一番最高の風景画は「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」とのことです。
wikiの「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」へのリンク
理由は波が崩れる一瞬を表現しえた唯一の絵であり、構図が素晴らしく、
絵なのにいまにも動きそうなのが伝わる、世界で類をみない最高の風景画、だそうです。
それが日本の陶器のつつみ紙として欧米に入ってきて、
浮世絵を有名な画家が見て、あまりにも素晴らしくかつマネができなく、
海の絵を描いてもこれと比べると陳腐になってしまうので、
欧米の画家たちはこの絵が世に出た後、海の絵を一切描かなくなったといわれるそうです。
そんな絵のパクリ元が「波の伊八」の彫刻なのです。
千葉にはこんなにスゴイ偉人がいたのです。
以上、波の伊八巡りをお送りいたしました。
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